ものがわかるということ

気になっていた

養老孟司さんの著書を読んでみました。

解剖学者でもある養老さんの講演をYouTubeで聞いたことがあり、淡々としているのですが、どこかあたたかさや、無邪気な感じが

とても聞きやすいな〜と思い

手にとってみました。

◎知るとは自分が変わること

◎学ぶとは自分の味方が変わること

それまでの自分はいったい、何を考えていたんだと思うようになります。

◎一生懸命だった自分は もう死んでいない

ーーーーーーーーーーーー

確固とした自分があると思い込んでいるいまの人は、この感じがわからない。

むしろ変わることはマイナスだと思っています。私は私で、変わりたくないはず。だから変わりたくないのです。

それでは、知ることはできません。

ーーーーーーーーーーーー

と。

 

今の私に淡々と語りかけてくる。

この文章。

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり

先生なりの解釈、とてもおもしろいです。

 

知恵を入れ、行動、実行する。

知行合一。ひとつであること。

 

改めて、この一連の流れは大事です。

↑この方程式を頭に叩き込む。

そして、楽しむ。

実験する。

ーーーーーーーーーーーーー

世界をわかろうとする努力は大切である。

でもわかってしまっては

いけないのである。

ーーーーーーーーーーーーー

私はつい、狭い世界の中で

わかった気になる。

恥ずかしい。

何もわからない、ただの人である。

世界はとても広いので

こう言う本当の有識者の方の本を

読むと身が引き締まる思いになる。

ない 世界をみているとないけど

ある、つくる世界を望めば

きっと ある し

つくれる、のだ…!

実験実践!

こんな私でも1ミリでも脳細胞よ広がれ〜!

 

引き続き読みます。

知恵と行動、生きる力を

育んでいくために。

 

けれども、けれども

人生 ああすれば こうなる

とも言えないのです。

シミュレーションはできます。

けれど、自然と子育ては

どうなるかわからない 

のです。

今を生きてると、仕事して、社会に溶け込むと

合理性に偏ります。

だって、仕事、家族、約束、趣味とか

いろいろで

忙しいのだもの。

空白を作ること、忘れてしまう。

何ならそれをしたくない人もいる。

私がそうだった。

シミュレーションすれはするほど良い。

けれど、実際はそんな風には

いかない。

 

ーーーーーーーーーー

どうすればいいのかと

都会の人は訊いてくる。

といいます。

ーーーーーーーーーー

どきどきする内容。

都会の人でなくとも

これはよくあることだと思います。

管理やルール、シュミレーションが

行き届いていると

合理性、確実性もあるけれど、、

本当にそれは…?? 

 

人生思い通りに、シミュレーション通りになっている人はどれくらいなのだろう。

結果論として裏付けを当てがうことは

いくらでもできる。

シミュレーションが合っていたと

ポジティブ変換することも

いくらでもできる。

けど、そういうことでもない。

ーーーーーーーーーーー

知るとは自分が変わること

どう変わるかのシミュレーションはできない

ーーーーーーーーーーー

 

書いてあります。

 

この後はどうなるのでしょう〜

第二章に続きます。